で、ロードショーでは、どうでしょう? 第877回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『家族はつらいよ』
名匠・山田洋次監督が、橋爪功、吉行和子はじめ『東京家族』のキャストを再結集させ、『男はつらいよ』シリーズ以来久々に撮り上げた喜劇作品。
三世代が同居する一見平和な平田家を舞台に、ある日突然降って湧いた祖父母夫婦の離婚騒動を皮切りに、それぞれの家族の間に内在していた様々な問題が次々とあぶり出され大騒動に発展していくさまをコミカルに綴る。
物語。
東京の郊外に暮らす三世代同居の平田一家。
当主の周造は仕事も引退し、今はゴルフと酒に明け暮れ隠居生活を謳歌する日々。
当然、妻・富子の気持ちなど知る由もない。
周造に似て頑固な長男・幸之助は仕事一筋。
2人の子どもと家の中のことは専ら妻の史枝に任せきり。
家を出て税理士としてバリバリ働く気の強い長女・成子は、夫・泰蔵との喧嘩が絶えない。
一方、独身でいまだ実家暮らしの次男・庄太は、看護師の恋人・憲子との結婚をついに決断しようとしていた。
そんなある日、いきなり富子が周造に離婚を突きつけた。
脚本は、山田洋次と平松恵美子。
出演。
橋爪功が、平田周造。
吉行和子が、平田富子。
西村雅彦が、平田幸之助。
夏川結衣が、平田史枝。
中嶋朋子が、金井成子。
林家正蔵が、金井泰蔵。
妻夫木聡が、平田庄太。
蒼井優が、間宮憲子。
中村鷹之資が、平田謙一。
丸山歩夢が、平田信介。
小林稔侍が、探偵事務所所長・沼田。
風吹ジュンが、女将・かよ。
ほかに、岡本富士太、広岡由里子、近藤公園、北山雅康、徳永ゆうき、関時男、笹野高史、木場勝己、笑福亭鶴瓶、など。
プロデューサーは、深澤宏。
撮影は、近森眞史。
照明は、渡邊孝一。
美術は、倉田智子。
録音は、岸田和美。
編集は、石井巌。
音楽は、久石譲。
山田洋次の20年ぶりの喜劇映画は、まさに松竹大船調。 『東京家族』と同キャストで別家族を仕立て、離婚騒動を変奏曲のようにいくつも重ねて、継続の難しさ、言葉の味を魅せる。 落ち着いたレイアウトで、前と奥、一階と二階のレイヤー構造を携え、画面の端々まで丁寧に目を利かし、さりげない言動に笑いを忍ばせる名人芸。 橋爪功ショーともいえる縦横無尽。 劇場に老若男女の笑い声が響くのが幸せ倍増の辛くないクラシカルな佳作。
おまけ。
上映時間は、108分。
製作国は、日本。
キャッチコピーは、「妻よ、笑顔を下さい。夫よ、離婚を下さい。」
ネタバレ。
同時期公開のフランス映画『最高の花婿』も末っ子の結婚と両親の離婚が、ドラマを牽引する。
なので、あえて比較をしてみる。
あ、『最高の花婿』は二日後に書きますが、ここでもネタバレしてます。
比較する理由は、近いコメディを比べることで、日本の姿がより明確に見えてくるかもしれないから。
『家族はつらいよ』は、末っ子の結婚はサラっと描かれる。重要なのは、かすがいの独立のきっかけ。
『最高の花婿』は、末っ子の結婚自体への扱いは似たようなものだが、そこから生まれる両親間の軋轢が離婚を引き起こす。
『最高の花嫁』での妻の離婚の理由は、子供達との文化間への気遣いと娘に会えず夫との二人暮らしによる不満、夫の不寛容が離婚につながる。
まとまれば、文化への対応と孤独、夫への不満である。
『家族はつらいよ』は、妻の離婚理由は、夫への蓄積した不満。
それは甲斐のなさであることは映画の解決として描かれる。
三世代で暮らしており、孫からも慕われているし、子供からも愛されているし、息子嫁との仲も悪くないようだ。
つまり、孤独は多少あるだろうが、夫だけが問題なのである。
そのきっかけはもしかすると言葉にするという創作教室での活動と、末っ子が彼女の話をしていたからかもしれない。(プロポーズ前から甥っ子に話していたようだから、母にも話していたと推測できる)
そこには、ある種のやけっぼ食いに火がついたということなのかもしれない
これは、『最高の花婿』でも近い展開がある。
フランスも日本もそっくりじゃないか。
そして、あえてなのか、どちらも金には困っていない。
そうなのだ。
この二作、テイストや笑いのポイントは全く違うのだが、とても似ている。
登場人物の職業も多様。
『家族はつらいよ』は、引退したサラリーマン、専業主婦、税理士、ピアノ調律士、看護師、海外貿易する商事会社勤務、妻の尻に敷かれる事務員、そして、うなぎ屋、探偵、医者が出てくる。
『最高の花婿』は、貴族、銀行家、画家、役者、神父までいる。
どちらもに妻の稼ぎで食う夫を揶揄する描写、安定しない仕事への不安はありつつも周りが認めているという描写がある。
父親はどちらも保守派。
憲子の父の正確な離婚理由には裏があるかもしれないが、保守的なサラリーマンではあったようだ。(憲子という名付けからも推測できる)
『最高の花婿』はド・ゴール主義の保守派と軍人の父親が出てくる。
さて、違いを出してみる。
『家族はつらいよ』には、決定的に政治的や多文化的な部分がない。
家族間の協力がない。
娘を引き戻すのは
他に二つ、似たところがある。
ひとつは、妻が勉強することがきっかけということ。
『家族はつらいよ』では、創作教室での小説執筆。
『最高の花婿』ではダンスや宗教や文化の勉強に乗り出す。
それによって、夫の態度(言葉にしない、能動的な行動に出ない)が不満となり、離婚へ動き出す。
もう一つは夫の態度。
問題を一人に押し付け、行動ではなく、自身のトラブルでうやむやにし、言葉で得心し、解決してしまう。(離婚届を書くのを誕生日のプレゼントだとするが、妻が用意したものであり、行動ではあるが受動的)
『最高の花婿』では、自身のトラブル(泥酔と和解)に、妻に言われて娘を引き戻すのと自主的な妻へのプレゼントの用意。
だが、ここに決定的な違いがある。
自主的なアクションがないのが違いであるといえる。
フランスの父親は走り、娘を連れて帰る。
日本の父親は息子夫婦を悪態で送り出し、結論と本音を出す。
つまり、フランスでは和解がクライマックス。
日本では和解ではなく理解があるだけ。
和という字が入ってるというのに・・・。
言葉に過ぎないのだ。
究極、これが日本のドラマだとも言える。
つまり、事件は現場ではなく会議室で起こるのである。
もしかすると、純日本的と思われてる山田洋次には、どこかフランス的な成分が入っているのかも。
山田洋次には、『髪結いの亭主』を絶賛し、『男はつらいよ』にも女性理容師を出したなんて過去もあり、今回も「髪結いの亭主」というセリフがあるのもあながち穿ち過ぎでないのではと思う理由。
山田洋次のドラマの構造には、、ある種の複合住宅(住居兼仕事場など)や二階建て、というのがある。
なにしろ、デビュー作は、『二階の他人』であり、実質のデビュー作である『下町の太陽』も住み込みの工場が舞台。
『男はつらいよ』の寅屋はその二つとも入っている。
『小さいおうち』でも、二階建ての家だった。
丘の上に家を建て、ある種の二階建て感を出すことも多く、『幸福の黄色いハンカチ』も、おいらの好きな、『愛の讃歌』(『崖の上のポニョ』の家のモデルにもなった家が出てくる)の家も、丘の上に建っている。
二階建てを用いて、コメディにする、そういう意味で、今作は、山田洋次の原点回帰の作品とも位置づけられると思う。
つまり、『男はつらいよ』からの『家族はつらいよ』でありつつ、『二階の身内』でもあるのだ。
ちなみに、階段から、という芝居も多い。
『母と暮らせば』でも、息子の初登場は、階段に腰かけていた。
今作でも、階段は数度、印象的に使われる。
山田洋次の世界では階段は世界を隔てるもの。
だから、ラストは外から二階と下の階をつながっている場所として見せることで大団円を見せる。
山田洋次の二階建てというモチーフの使い方はかなり好きで、『はじめての家出』、『ライフ・イズ・デッド』で引用させていただいている。